閑  話    「マックとサイクリングのこと」   

 

          平成17年10月26日午前9時49分撮影

 平成5年6月生まれ、雄のシーズー、名はマックです。ご 主人様(私!)が自宅からスーパーロングサイクリングに出か ける時は、必ず一緒に記念撮影をしています。 
マックの前は雑種の小型犬を飼っていました。
ポチという名で非常に頭が良く、生後2ヶ月くらいでもらったのですが、私たちに届けてくれただけの人を1年後も覚えていました。ポチは初めて見る人は当然のこと、何度こられても玄関から中に入らなかった人には必ず吠え、一度中に入った人には二度と吠えることはありませんでした。この犬に関しては不思議な思い出があるのですが、機会があればご紹介しましょう。 

 さて、マックですが、先のポチが永眠して2〜3年してから、下の14歳の娘が「イヌが欲しい」と言い始めました。私は子供の頃から猫や犬を飼い続けていたから何の問題もなかったのですが、犬は買うのではなくもらうものという拭いがたい思いがありました。ましてや座敷で飼うなんてとんでもない事だったのです。知り合いに、もらえる犬は居ないか尋ねていましたが見つかりません。貯めた小遣いで買うからと言う娘の気持ちに負けてマックを購入しまた。初めてペットショップで見たときは、選んで下さいと言う店員の片手の平に2匹が並んで乗っていました。目の色が左右違うという異常に気づいていましたが、黙っていました。こうしてその2週間後くらいに私たちに引き取られたのです。
 最初は未だ足腰がしっかりしていないので腰砕けのような歩き方をしていました。妻が一生懸命に世話をしたのでしょう、気がついたら少しは駆け足も出来るし、トイレも決められた場所でするように成長。私も次第に人間の生活空間に同居していることが普通のように感じられるようになってきました。毎朝二階へ上がってきて、寝ている私の顔を舐めまわす。猫の舌はざらついていて汚れが取れますが、犬の舌はそんな風にはなっていない。だから返って顔中粘つく感じです。犬嫌いの人には理解しがたいでしょうが、それも親近感が増す行動のひとつだったのです。
 小さな犬なので、よく車に乗せて出かけました。特に1泊旅行の時は、家の中に放置することは出来ず、車中で寝かせることにして連れて行ったものです。
 私が独立して自宅で仕事をするようになってからは、文字通り四六時中一緒にいました。当初はマックに注意を払うゆとりはなかったのですが、4〜5年経つと私の後ろのソファーを定位置にして寝ている事に気づきました。
3年ほど前から衰えていくのが目につくようになりました。まずマック自身のオナラに驚かなくなったこと。新聞を踏んで歩くようになったこと。朝二階へ上がってくるのに息切れがするようになったこと。ベッドに飛び上がれずに鼻で鳴いて上げてくれとせがむようになったことなどです。またその頃から、走り回ると突然倒れて失禁することがありました。鼓動を診ると不整脈があります。大分歳をとってきたなあと話をしていました。
 私が出かけるときは玄関の上がりかまちまできて、帰ってくるまでそこで寝ている筈なのですが、車の音を聞くと玄関のドアまできて吠えたてていました。下に降りると叱られるのが分かっていますから、ドアが開きかけると同時に床へ飛び上がります。しかしここ2〜3ヶ月はそういう行動も見られなくなってしまいました。そればかりか跨ぐほどのところを通っていても気づかない事が増えたのです。
 10月24日の夜11時頃でしたが、ソファーで本を読んでいる私の横で寝そべっているマックの息づかいが、何となく普段と違う。私も寝ころんで脇腹の辺りへ耳を当てて、心音を聞こうとするがはっきりと聞こえない。手で感触を確かめると脈は強く打っている。何となく気になるので、朝まで一緒にいてやろうかなと思いはしたものの、大丈夫だろうと寝てしまいました。25日朝、様子をみるとやはり苦しそうです。妻が犬に何か言っている。見ている目の前で脱衣場でおしっこをしたとのこと。 「これはどうも老犬ぼけやで」 と私。ふと気がつくと、ソファーとテーブルの間におしっこをした跡があります。拭いても跡が残るので大分時間が経っているのでしょう。掃除をしてやれやれと思っていると、なにやら冷たいものを足の裏に感じる。ええー、こんなところにもおしっこをしたのか!。昼過ぎ、おしっこのにおいがします。どこかなあと探すと、飲み水入れの水が満タンに増えていて横にも溢れています。ああ、ついにこまで呆けたか。なんだか自分の行く末を見ているようでもあり可哀想になってきます。仕方なく居間は締め切って、私の仕事部屋とトイレだけ行き来できるようにした。犬用のこたつと座布団をトイレ横に置いて被害拡大防止です。夜9時頃、スーパーへ犬用のおしめを買いに行き、着けてやったが嫌がりもしない。
 26日朝、私の仕事部屋も締め切ると、やって来てドアを引っ掻いて中へ入れてくれと合図をする。 「そうだったな、居るときくらい開けておこうな」 と中へ入れて、こたつと座布団も持ってきたやった。なんだか心配で仕事が手につかない。時々振り向いて見てやると、私を見上げて苦しそうに息をしている。心臓に手を当てると鼓動が激しいのに呼吸の雑音で心音が聞き取れない。ダメかも知れんなあ・・・・。腹這いになって胸やのど、首筋をさすってやる。 「長い間有り難うなあ、よく頑張ってくれたよなあ。もういいよ、そんなにしんどかったらもういいよ、もう頑張らなくてもいいよ。お母さん(妻)がもうすぐ帰ってくるから、もう少し待っててや」 。頭から抱きかかえるようにしてねぎらってやる。妻から電話がかかってきた。 「マックはどうや?」 。 「大分しんどそうやあ」 。電話を切って間もなく、立ち上がってソファーに飛び乗る。渾身の力を振り絞って自分の席に着きたかったのだろう。仰向きにしてやるとそのまま速く大きな息をしている。休む間もなくまたソファーから降りると、よたよたと同時期にもらわれてきて屋外にいるチビ (雑種犬) の方へ歩き始めた。腰砕けで後足がシャキッとしない。いつも網戸かガラス越しで仲良くしている場所だ。そうかそうか挨拶をしたいのかと、ガラスを開けてやると苦しそうに伸びをした。
 慌てて顔をチビの方へ向けてやると・・・・・呼吸が止まった・・・・。  13時22分永眠。
ありがとうなあ・・・・しんどかったなあ・・・・長い間ありがとうなあ。身体を拭きブラシをかけて耳の掃除をしてやっていると、みんな先に死んでしまって...という思いから涙が溢れてきた。充分可愛がってあげたかなあ?満足してくれたかなあ?ありがとうなあ。
 一晩寝かせた遺骸の前で、妻が 「犬にもあの世があるんだろうか」 と聞く。私は、人間にあるのなら同じ動物の犬にもあるだろうと答えた。ならば、犬は死後人間を救うとか守るとかいう事があるだろうかと重ねて聞く。私はムリだろうと返事をした。なぜなら仏教で六道という言葉がある。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人界・天界とあり、畜生が人間を救う事はできないだろうと。でもこれは妻の気持ちを汲んで半ば嘘のつもりで言ったような気もする。
 27日朝、妻が私の落ち込んでいる様子をみて、動物霊園で火葬してもらおうと言い出した。焼いているとき1歳9ヶ月の孫娘が、何も居ない芝生の方を向いて「マックちゃん」と呼びかけたらしい。マックはきっと嬉しそうにその辺を走り回っていたのだろう。この日以来孫娘は家にきても 「マックちゃんこんにちわ」 と言わなくなった。
私は胸の塞がる思いに苛まれていたが、翌28日仕事で出たついでに、生きているシーズーに触れば気が晴れるかしらと思いペットショップへ寄った。そうすると不思議に胸につかえていたものが取れた。今度は逆にマックが 「もういいよお父さん」 と言ってくれたのかも知れない。
 29日土曜日は雨だったが30日は晴れたので気晴らしにサイクリングへでかけた。いつものコースは木津川沿いなのだが今日は違う道を走ってみよう。宇治川を琵琶湖まで遡り、大津、山科と回ってくることにする。何人かのサイクリストに追い越されながら紫式部と縁の深い石山寺で休憩。京阪電車石山駅の裏から東海道自然歩道があり、山越えで山科へ抜けられそうだ。しかし残念ながら途中で自転車では無理な道になってしまった。仕方なく裾の方を大津方面へ走ったが、随分坂のきついところに新しい住宅が建ち並んでいる。この道もついに行き止まりになって、どうにか1号線へでることが出来た。逢坂を越えてから山科の国道1号線を渋滞した車列の左を25Km/Hくらいで走っていた。目の端に右対向車線から車の間を右折する自動車が見えた。パニキングブレーキで後輪がロックされ右へ振られる。あたる!と思ったが、間一髪瞬時の差で車がすり抜けて行った。
 私は 「人は皆生きているのではなく、生かされていると感じています」 と話すことがある。その例えとして、走り慣れた道、全ての意味に於いての道で、直進・右折・左折と選択肢があって迷うことがある時、選択しなかった道に何か危難があったのかも知れないと思い続けています。自分の意志で選択しなかったのではなく、なにか見えざるものの手によってそういう選択をさせられたと思うのです。でも誰もこれを確かめることはできません。
 実は私、サイクリングコースを変更するのに迷いがあったのです。自宅で準備をしている時も、走り出してからも10q位までは迷っていました。そして 「あ、今迷っている。どう選択すればよいのか」 、そんなことが何度か頭をよぎっていました。しかしその道を選択したのです。しかしまた結果的には救われたのです。それをどう捉えるかはその人それぞれです。 私は犬から恩返しをしてもらったと感じています
 「無常迅速 ・ 一行三昧」 、この言葉は孫娘が生まれたとき、パソコンで記念の写真を作る際に挿入しました。これを忘れなければ人生を誤る事はないという願いを込めて。
 無常迅速・・・・マックは人間の寿命に換算すると75歳くらい。正に身をもってこの言葉を教えられた思いです。

 





 






私のPCを立ち上げると必ず現れます。「げんきにしているか?」って言われているみたいですね。まだ1〜2歳でしょうか
 

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