正月閑話  「長い手紙」  平成17年正月

 十年ひと昔という言葉で表現するなら、一つふたつそのまた……の昔PFCがあった。大抵の中学校の文化部にペンフレンドクラブがあり、盛んだったように思う。因みに私もそのメンバーだった。運動部のように、上級生から「根性」とか 「我慢」 と非科学的にしごかれず、無理矢理走り回らなくて良いことが性に合っていたのかもしれない。子供が誰かから電話をもらったり手紙をもらうということは、その当時は普通では考えられないことだった。友達とは学校の中で喋ったり、放課後にどこかで集まって遊んだりするのが一般的で、家の中では家族との会話があった。しかし中学生ともなると行動範囲も広がり、好奇心も旺盛になってくる。さりとて小遣いも少ししかないから、手っ取り早い方法として、文通を通して違う世界の事を知りたかったのだろう。クラブ経由でペンフレンドを紹介されるケースとは別に、中学生向けの月刊誌に 「ペンフレンド紹介」 の記事があった。そういう業者はどうやって生業をたてていたのか分からないが、無料で国内と外国の地域や国別に希望を叶えてくれていた。私も何人かの文通友達を持っていた。都道府県は忘れたが日本、インド、アメリカ、フランスが記憶にある。特にインドの同い年の人は、ハイデラバードに住む医師の息子さんで、三年くらい続いたように思う。初めて頂いた便りは少し癖のある文字で判読できず、亡父の職場の方に訳してもらった。プレゼントの交換もしたが、今は手元に残っていない。英語力は当然 当時の中学生レベルだったのに、よく長く続いたと思う。今の学校にPFCがあるのかどうか知らないが、もしあっても参加者は少ないだろうと思う。何しろ世は I T 時代、何時返ってくるか分からない返書を待つ子供は少ないだろう。携帯電話で長々お喋りし急ぐときはメール。否、私から見れば話す必要がない時はメール?でと使い分けているように見える。パソコンも一家に一台近くある時代。インターネットメールやインターネット電話もある。知り合いの子供さんがニュージーランドに留学されていて、ほぼ毎日定時にパソコンで動画と音声を使って会話をされている。料金もそれ程かからずしかも瞬時に到達する。速いし便利この上ない。こんなことならきっと文通友達ではなく、eメール友達を世界中に持っている人もいるのだろうと思う。料金などを考えると優れているメールも、意志の疎通という視点からは感心しない面がある。例えば 「希望者はメールで参加と送って下さい」 という呼びかけに対する返信はマルだが、「きのう何であんなことを言ったの?」 という送信と 「別に」 という返信は共にバツだ。その理由が分からない子供が増えているらしい。そもそもデジタル文字には表情がない。音楽のような感情も無い。文字に表情や感情を与えることが出来るのは、ごく一部の文筆家だけと考えてもいい。補助的に顔文字も使えるようになっているが、それでも到底微妙な感情が誤解無く伝わるとは言えないだろう。全て悪いとは思わないが、自分の大切な気持ちを伝えるには言葉に勝るものは無いように思う。 しかし、なかなか直接に言葉では伝えにくい事もある。今更こんなことを言うのは気恥ずかしいとか、タイミングを逃してしまったとかいう場合もある。そんな時は手紙の出番になる。達筆な人もいれば金釘流の人もいるが、一字一句考えながら書いた言葉には何か伝わるものがあるはずだ。そうして呻吟苦闘することで、他人に自分の気持ちを伝える難しさも分かってくる。どうしても短い文章しか書けないという人には、取って置きの奥の手がある。よくご存じの 「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」 という、福井県丸岡藩の本田重次が陣中から妻に宛てた手紙だ。近年福井県では毎年 「日本一短い○○○の手紙」 というコンクールをしている。この短さなら筆無精でも何とかなるかも知れない。例えば、奥さんが朝起きてテーブルの上に目をやると 「心では詫びつつも、断り切れず一杯が二杯」 なんてメモがあったりすると、ヒョッとして許してもらえるかもしれない。
 冗談はさて置いて、私はもっと変わった手紙があると思う。それは年賀状だ。昨今はパソコンで作る年賀状が大流行だ。自分の悪筆を恥じることもないし、印刷屋さんに依頼する手間もない。自分だけのオリジナルな年賀状を楽しみながら作ることができる。昨年もらった年賀状を見て、顔を思い浮かべながら添え書きをする。全てというわけでもなく、書いてもごく短い文言だ。 
 

○年元旦 受信       子供が生まれました

翌年元旦 発信       賑やかになりましたね

翌々年元旦 受信      やんちゃ坊主です

翌翌々年元旦 発信    その位がいいですよ 

と続いていくと、これは間違いなく往復書簡で、しかも一年かかって一言をやり取りするながーい手紙ということになる。

  さて、今朝は誰からどんな年賀状が来たのか、ゆっくりと目を通すことにしよう。 
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