《私の本棚 第八十七》  平成16年6月 

   「天忠組のこと」  宮本 常一 

 著者は民族学者で、この一文は昭和2年3月の旅をもとに書かれています。天誅組のことは学校の社会科で習ったはずですが、「天誅組」 という言葉しか記憶にありません。1863年8月、中山忠光という20歳になる孝明天皇の妃の弟がリーダーになって作られました。尊皇攘夷派の20代、30〜40人のグループだったようです。その当時の様子を、土地 の古老から聞いて書かれています。
 五條市で蜂起した天誅組は悲惨な最後を遂げます。東吉野村鷲家の国道166号線の脇には義士の墓があります。もともと奈良十津川村の人々は朝廷崇拝が大変強かったといいます。奈良から三重や和歌山へ向かう道を行くと分かりますが、山また山の連続です。昔なら牛がすれ違えれば立派な道路だったと思います。南朝が置かれた時代もあり、進取の気持ちよりは、やはり 「天皇様」 だったことでしょう。
 
櫛田川





  三重県飯高町
 (伊勢参宮街道)

 櫛田川清流

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