《私の本棚 第五十六》   平成13年11月 

     「武蔵野」  
国木田独歩  

 学校の文学史のテキストでは、独歩=武蔵野として記憶したような気がします。それはやはりこの作品が、自然主義文学の先駆として高い評価を受けたからでしょう。初めて読んだときは、何かしら読みにくいと感じました。普通の小説とは異なり、私と他人との関わりが希薄です。少しは言葉を交わす場面もありますが、それは心の交流ではなく、武蔵野を吹き抜ける風と木立の関係のようなものです。そもそもこの作品を文学として読むのがいけないのかも知れません。大きなキャンバスに描かれた武蔵野の風景を、ゆっくりと眺めるような気持ちで文字を追う。まるで絵画を鑑賞するように・・・。
 哲学者三木清は著書人生論ノートの中で、東洋人は自然の中で安らぎを感じ、西洋人は自然の中で孤独を感じると書いています。独歩はまさに東洋人です。今の武蔵野市は吉祥寺のような都会を有していますが、「武蔵野」 というのは相当広範囲を指すようです。私も吉祥寺、八王子、高尾などに行ったことがありますが、残念ながら作品に出てくるような 「これぞ武蔵野」 という場所へは行ったことがありません。

武蔵野稜




  昭和天皇武蔵野陵
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